山本由伸投手は、岡山県備前市出身の才能豊かなピッチャーです。日本プロ野球のオリックス・バファローズで活躍したのち、2024年からはメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースでプレーしており、圧倒的なピッチングスタイルと球速、そして多彩な変化球で知られています。山本は若くして多くの記録を打ち立て、その実力は日本国内だけでなく、国際的な舞台でも高く評価されています。彼の投球は、強烈なストレートと緻密なコントロールが特徴で、対戦する打者にとって大きな脅威となっています。山本由伸投手の今後の活躍が、野球ファンの間で大いに期待されています。
山本由伸の2026年シーズン成績(レギュラーシーズン最終)
ドジャース3年目の2026年、山本由伸投手はレギュラーシーズンで28試合に先発して14勝9敗・防御率2.53をマークしました。185回を投げて182奪三振・与四球42、WHIP(1イニングあたりに許した走者の数)は0.87です。勝利数と投球回はメジャー移籍後の自己最多で、7月19日のヤンキース戦ではレギュラーシーズンで自身初となる完投勝利(9回2失点)も記録しました。ナ・リーグの成績上位では、防御率が3位、WHIPが2位に入っています。
| 項目 | 2026年レギュラーシーズン |
|---|---|
| 登板(うち先発) | 28試合(28試合) |
| 勝敗 | 14勝9敗 |
| 防御率 | 2.53(ナ・リーグ3位) |
| 投球回 | 185回 |
| 奪三振 | 182(ナ・リーグ10位) |
| 与四球 | 42 |
| WHIP | 0.87(ナ・リーグ2位) |
| 完投 | 1 |
メジャー移籍後3年間のレギュラーシーズン成績は次のとおりです。
- 2024年:18試合(先発18)7勝2敗、防御率3.00、90回、105奪三振
- 2025年:30試合(先発30)12勝8敗、防御率2.49、173回2/3、201奪三振
- 2026年:28試合(先発28)14勝9敗、防御率2.53、185回、182奪三振
ドジャースの2026年ポストシーズン日程
ドジャースはレギュラーシーズンを100勝62敗で終え、ナ・リーグ西地区で優勝しました。ナ・リーグでは103勝のブルワーズに次ぐ第2シードとなり、ワイルドカードシリーズは免除されています。地区シリーズ(5回戦制)は米国時間10月3日(土)に本拠地ドジャー・スタジアムで開幕します。相手はワイルドカードシリーズ「フィリーズ対ブレーブス」(3回戦制)の勝者で、9月29日の第1戦はブレーブスが5-3で勝ちました。
- 第1戦:10月3日(土)ドジャー・スタジアム(開始時刻は未定)
- 第2戦:10月4日(日)ドジャー・スタジアム 午後5時開始(日本時間5日午前9時)
- 第3戦:10月6日(火)相手チームの本拠地
- 第4戦:10月7日(水)相手チームの本拠地(必要な場合)
- 第5戦:10月9日(金)ドジャー・スタジアム(必要な場合)
日付は米国時間です。山本投手の地区シリーズでの登板予定は、9月30日時点では発表されていません。リーグ優勝決定シリーズは米国時間10月11日から、ワールドシリーズは10月23日から行われる予定です。
出典:MLB公式(MLB Stats API)の選手成績・ナ・リーグ順位表・成績上位リスト・ポストシーズン日程(2026年9月30日取得)
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ロサンゼルス・ドジャース
ロサンゼルス・ドジャースは、メジャーリーグベースボール(MLB)のナショナルリーグ西地区に所属するプロ野球チームです。彼らの本拠地はカリフォルニア州ロサンゼルスにあるドジャー・スタジアムです。日本では、「ドジャーズ」とも呼ばれています。
ドジャースは19世紀から続く伝統ある球団で、MLBで最も有名で力のあるチームの一つです。もともとはニューヨークのブルックリンを拠点にしていましたが、1958年にロサンゼルスへと移転しました。この年、ニューヨーク・ジャイアンツも西海岸のサンフランシスコへ移転しています。ドジャースは、1947年にアフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを起用したことで有名です。また、1995年には日本の野茂英雄がメジャーデビューを果たしたチームとしても知られています。第二次世界大戦後の1956年には、日米親善試合を行い、日本との関係を深めました。
ワールドシリーズには23回出場し、優勝は9回を数えます(2025年まで)。特に1955年までの10回のリーグ優勝の中で、ワールドシリーズではなかなか勝利をつかむことができませんでした。彼らのライバルであるヤンキースとの対戦が多かったですが、1955年に初めてヤンキースを破りました。ロサンゼルスに移転後のワールドシリーズ優勝は、ジャッキー・ロビンソンが活躍した1950年代、1960年代にサンディ・コーファックスやドン・サットンなどの名投手がいた時代、そしてトミー・ラソーダの監督の下で1980年代に2回ずつ達成されました。2009年にはMLB3球団目となる通算1万勝を達成しました。
2012年シーズン終了時点で、ドジャースは優勝決定プレーオフ進出回数が30球団中で最多です。ナショナルリーグが同率1位の際に2戦先取制のプレーオフを実施していた時代、ドジャースは実施された4回すべてに出場し、ワンゲームプレーオフ移行後も合わせて計5回出場しています。
ロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツの長年にわたるライバル関係は、ニューヨーク時代から続く伝統的な対決であり、現在もMLBの中で最も注目される対戦の一つです。レギュラーシーズンの対戦成績は非常に接近しており、両チームはほぼ互角の戦いを繰り広げています。
1957年シーズン後、ドジャースとジャイアンツは同時に西海岸へ移転しました。ドジャースはロサンゼルスへ、ジャイアンツはサンフランシスコへと新しい歴史をスタートさせました。ドジャースは1988年までに5回のワールドシリーズを制覇し、この成功は球団オーナーだったウォルター・オマリーの果敢な決断によるものでした。オマリーはチームを西海岸へ移転させ、ロサンゼルスのダウンタウン近くに新しいドジャースタジアムを建設しました。1962年の開場以来、このスタジアムはドジャースの人気と収益の増加に大きく貢献しました。
一方、ジャイアンツは2009年までワールドシリーズ制覇から遠ざかっていましたが、2010年には大きく躍進しました。自前の育成選手を軸にした強力なチームを構築し、レギュラーシーズンの勢いを持続させながらプレーオフを勝ち進み、球団移転後初のワールドシリーズを獲得しました。その後、2014年までに3度のワールドシリーズ制覇を達成し、ニューヨーク時代を含めて通算8度のチャンピオンに輝きました。
ドジャースも2010年代後半には力を取り戻し、2017年には1988年以来となるワールドシリーズ進出を果たしました。2020年、新型コロナウイルスの影響で短縮されたシーズンでしたが、ドジャースは最高の成績を残し、32年ぶりにワールドシリーズを制覇しました。さらに2024年はヤンキースを4勝1敗で、2025年はブルージェイズを4勝3敗で破り、2年連続でワールドシリーズを制しています。
ニューヨーク時代から続くドジャースとジャイアンツの対決は、MLBの中でも特に熱い注目を集めています。長年にわたるライバル関係は、野球ファンにとって見逃せない歴史的な一戦を生み出し続けています。
球団は東海岸から西海岸へ移転し、アメリカ以外の国からの選手を多く獲得しました。これらの変革により、ドジャースは大きな成功を収め、球団経営の質を向上させました。これは長年のオーナー、ウォルター・オマリーとピーター・オマリーの影響が大きいです。また、ドジャースは名投手を多く輩出し、サイ・ヤング賞を12回受賞しています。
球団のスカウトと教育担当者であったアル・キャンパニスの著書『ドジャースの戦法』は、スモールボール戦術の基礎を築き、日本のプロ野球にも大きな影響を与えました。
2011年、MLBコミッショナーのバド・セリグは、ドジャースの財政問題を懸念して球団をMLBの管理下に置きました。球団の管理責任者にはジョン・トーマス・シーファーが選ばれましたが、オーナーのフランク・マッコートは反発しました。翌年、球団はグッゲンハイム・ベースボール・マネジメントに20億ドルで売却され、元NBA選手のマジック・ジョンソンも投資グループの一員となりました。
2013年、ドジャースはタイム・ワーナー・ケーブルと70億~80億ドルの放映権契約を締結しました。これにより、ドジャースは自前の放送局を設立し、TWCと契約を結びました。
ロサンゼルス・ドジャースの歴史は、1850年代のブルックリンの野球クラブから始まります。1860年代には、プロ野球が芽生え始めた時期で、強豪クラブが多く存在しました。これらのクラブの中から、現在のドジャースに繋がる球団が1883年に誕生しました。設立者は、ニューヨークの不動産業者チャーリー・バーン、編集者ジョン・J・テイラー、カジノ経営者ファーディナンド・エイベルらで、彼らはブルックリンに新球場「ワシントン・パーク」を建設しました。翌年、チームはアメリカン・アソシエーションに加盟し、他球団の買収や主力選手の獲得を通じて強化され、1889年と1890年にはリーグ優勝を果たしました。
20世紀初頭、チームは成績が低迷しましたが、1913年にエベッツ・フィールドへの本拠地移転と「ロビンズ」へのチーム名変更、ウィルバート・ロビンソンの監督就任により再建されました。ロビンソンのリーダーシップの下、1916年と1920年にはリーグ優勝を達成しました。しかし、1920年代には再び成績が低迷し、経営陣の相次ぐ死去もチームに影響を与えました。
次のリーグ優勝は1941年にやってきました。この時期は、レオ・ドローチャーの監督就任とラリー・マクフェイルのチーム作りが実を結びました。ドジャースはMLB史上初のテレビ中継された試合を行い、野球界に新たな風を吹き込みました。
この豊かな歴史を持つドジャースは、野球界の重要な一部として、今日もその伝統を継承しています。


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